JR肥薩線 真幸(まさき)駅
嘉例川(かれいがわ)駅をあとにして・・・
ついでに真幸駅に行くことになりました。

London callerさんの書き込みがあったので動画を探したらありました。
ご覧になりたい方はクリックしてみてください。
真幸駅

1. H23.5.11 100歳になった駅舎に日の丸が飾られていました
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2. 運よく観光列車「いさぶろう・しんぺい」号が到着
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3. ここで数分停車  ホームに「幸せの鐘」があります

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4. 乗客たちは下車して記念撮影や特産品を見たり・・・
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5.
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6. もうすぐ出発
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7. 両手を振って見送る真幸駅友の会の女性たち
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8. あれっ、来た方向に戻っていきます
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9. 3分くらいすると再び列車が見られるということで待っていると…
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10. 上の方の線路を通過していきました
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真幸駅 (Wikipediaより抜粋)
真幸駅は宮崎県で最初に出来た駅であり、肥薩線唯一の宮崎県内の駅である。
以前は駅周辺には集落があったが、度重なる土石流災害で住民が移転し、現在は周辺の建物もまばらである。2006年度の1日平均乗車人員は1人である。
現在は地域のボランティアが、特産品の販売やお茶のサービスなどを行っている。

険しい区間にあり、通過不可能な逆Z字型のスイッチバック構造。
「三段式スイッチバック」は、山岳地帯の急勾配を乗り切るために、山裾をジグザグ
に登ることで、少しでも急勾配を緩和するものです。現在3路線・4箇所にしかありません。

歴史 [編集]

1945年(昭和20年)8月22日、
多数の復員軍人を乗せた列車が吉松駅との間にある第二山の神トンネル内で立ち往生した。その原因は空襲攻撃により鹿児島本線や日豊本線の主要橋梁が落下して肥薩線が唯一の運転ルートだったことや、戦時中の酷使による機関車の疲弊、粗悪石炭使用による馬力不足に加えて、復員軍人で満員状態だったことなどである。蒸気機関車の煙に巻かれた多くの復員軍人達がトンネル内を歩いて脱出しようとしたところ、これを知らない機関士が列車を後退させ、53名が轢死した。この事故は観光列車「いさぶろう」「しんぺい」車内でも説明される。なお、この事故があったあたりに復員軍人殉難碑が建っている。

1972年(昭和47年)7月6日、
折からの活発化していた梅雨前線によってもたらされた大雨の影響で駅の裏山斜面が8合目付近から高さ350m×幅280mにわたって崩壊し、これが土石流となって真幸駅構内と周囲の集落を飲み込み死者4名、負傷者5名のほか住家28棟、非住家29棟流失の被害を出した。14時15分頃から5回にわたって発生した土石流の土砂は合わせて約30万m³もの膨大な量に及び、肥薩線を切断し、当駅構内を土砂で埋め尽くすと共に、白川沿いに約1.5kmの広範囲に渡って流出した。線路と駅は復旧されたものの住居に被害を受けた世帯全戸が移転したために当駅周辺はほぼ無人地帯となった。なお、この土石流は現在においても宮崎県最大規模のものとされている。ホームには、このとき流れ込んだ重さ約8トンの巨石がそのまま残されている。
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by biwakokayo4 | 2011-11-04 18:11 | 九州の旅


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